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背中

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 澄んでいい香りがする、と思った。

知里幸惠さんは19歳で夭逝されたそうなので、この序のことばを書いたのはもしかしたら17、8の頃かもしれない。

 

女の子から女性になりゆく頃。

凛と立つ彼女のむこうに、たくさんの人がみえる。

両親、祖父母、曾祖父母、そのまた先の…。

 

彼女の背からのぞく人々は独特の化粧をしている。

着ている服の文様もあまり見かけないものだ。

ただ暮らしているのだ、とその人々は言う。

こわがらないでほしい、ただ暮らしたいだけなのだ。

 

自分に続く誇らしいものが不気味なものとされ徐々に薄れゆくさまを、彼女はどんな気持ちで見ていたのだろう。

彼女はそれまで口伝だったうたをローマ字に書き綴り、自ら日本語の口語訳をつけて刊行した。

その序の結びが、冒頭の写真。

 

 

ふくろうの神はわざと矢で撃ち落とされ、不運な者に恵みをあたえる。

兎や狐の神は人間にいたずらをしかけ、それがばれて「これからの兎たちよ、決していたずらをしなさるな、と兎の首領が子供等を教えて死にました」。

 

単純に面白いと思えるのは、私がその土地に生まれた人間ではないからなのか?本当はもっと難しいのかもしれない。そう思うとこわい。

 

自分とはちがうものをただ「そういうのもあるんだ」と思える世界だったらいいな。

 

岩波文庫アイヌ神謡集』(知里幸惠編訳)

今を生きずに いつを生きるというの

 

すべての色は 音にかわり 香りにかわる

 

すべての色は 限りなく美しい音色で応えてくれる

 

たとえ本を読むことができなくても

 

木々の間をぬけて吹く風が ページをめくり

 

私に 優しく物語を きかせてくれる

 

そして 人の命を 花のようにつみ取る 死さえも

 

もはや 私の目を つみとることはできない

 

リルケ『盲目の女』より

鍋のなか

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祖母お手製の七味正油。

ぐるりと書いてあるのがかわいくて写真に撮った。夏。

 

お題をいただきました。うれしい。

どうにもかたくなってしまうので、話すように書いてみよう。

 

> こんにちは。煮る さんのつぶやきを拝見して、仕事やお家での生活バランス良く楽しまれている感じがとてもいいなといつも思っています。

お料理上...

https://odaibako.net/detail/request/b694bd77b56248b283d9d27bd09f1128 

 

ありがとう!

でも手際はよくないと思うよ、待ってる間台所でしゃがんでいろいろ読んだりしてる。

 

根菜や鶏を蒸したり、葉物を切って冷凍したり…。

そういうことができるのは、気力のある休みの日だけ。

この間の牛テールや牛すじなんかは、下処理できる日までしばらく冷凍庫で眠っててもらうことも多いし。

 

ペーストといったけれど、自己流で適当なもので…。
その時冷蔵庫にある野菜を、皮もそのまま乱切りにして圧力鍋で煮て、粗熱とれたらブレンダーでドロドロにするだけ。

水はひたひたより気持ちすくなめで煮てる。

 

母がそうしていたから煮込む時はローリエを入れているけど、なくても大して違いはないと思うな。

 

基本は玉ねぎときのこ類(なめこ以外)と、あればセロリかなぁ。セロリすき。

それをコンソメと塩胡椒で煮て、牛乳や生クリームでのばせばポタージュ、

魚介類とベーコンとか入れればクラムチャウダー
魚介類入れずにじゃがいもを加えて煮たならビシソワーズ。

人参は薄いオレンジ色のきれいなポタージュになるし、

つぶさずに形を残しても華やかだよね。

 

煮る時、水じゃなくて赤ワインにするとデミグラスソースとかブラウンシチューにした時においしい気がする。

なんとなくだけど。


誰かにお出しするのでなければ、バターは入れないことがほとんど。
でも入れた方が断然おいしいよね、やっぱり。

後入れでもいいし。

 

何年か前に赤紫蘇ジュースを作った時、色のぬけた紫蘇をなにかに使えないかなぁ…と思ってソースにしたことがあるよ。

松の実、オリーブオイル、塩、にんにく。

 

赤がぬけた葉は緑があざやかで、香りもぬけてるから変なくせもなくて使いやすいソースになった。

ないない尽くしの出がらしなのにね。

こういうの、意外でうれしい。

 

今はペーストに限った話をしてるけど、

具沢山の豚汁とか、ごろごろの煮物もおいしいよねー。

煮物は圧力鍋より普通の鍋の方がおいしい。

 

小鉢がいくつかあって、サラダもメインも汁物もしっかりある。

そういう実家の食卓が理想だと思って、毎日そうできない自分にかなしくなることもあったけれど…

これさえあればいいでしょっていうものがあれば、まあいいかと思えるようになった。

 

ふだん作ってるのは、和食とも洋食ともいえないものばかりだよ。

 胸はって得意!っていえるものもない。

 わくわくするのは端っこ。

こないだの海老のしっぽ、余った刺身、魚のあら。

 とりあえず煮てみて決めよう。

子供が乗ってます

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明日、実家の軽が廃車になる。

 

車体の色は「ワインローズ」というらしい。赤よりちょっと落ち着いた色。

黄色いフォグランプが特徴的でとても可愛い。

 

20年なんて、そりゃガタもくるでしょう。

数日前、久しぶりに走ったら鈴みたいな音がした。どこかが軋んでいるらしい。

車内でラジオをかけると、音漏れしていた。

…というのをつい数日前に知った。

 キーの回し方にコツがいる。

ブレーキの効きが少し遅い。

 

私も妹も、教習所を卒業してから初めて運転したのはこの車だった。

だから慣れてしまっていたけれど、夫はいまだに「死ぬかと思った」と言う。わるいことをした。

 

たかが車。

何かあってからでは遅いし、予定ではもっと早くこうなるはずだったらしいけれど。

でもとてもさみしい。

アトレー。

百閒先生 月を踏む

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版画のローラーは一度回すだけでいいらしい。

小学校か中学校の美術室で、私は何度もずりずりと往復させていた気がするのだけれど。

だからずれたりしてたのか。


この一冊、私は一度読み、またすこし前に戻って読み・・・

一回読むだけではすんなり入ってこなかった。

万人受けする話ではない。

 

幻想、夢、パラレルワールド


好みの問題で、ファンタジー小説はふと冷め/覚めてしまうことがあるのだけれど、この不思議な淀んだ世界はどこかほんとうのようで、ずっとそのままだった。

足のむくまま 気のむくまま

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最近のお気に入り。
電車内で読んで吹きだし、そのあと何度も思い出し笑い。


愉快、軽快。


小説家、〇〇賞受賞作家、文壇の大御所・・・

いろんなことばで呼ばれてきた人も、ここでは「人」だ。


仲の良かった北杜夫佐藤愛子もよく作中に登場するけれど、そのくだけた仲がうらやましくて素直に「いいなあ」と思う。


『(中略)嬉しさのあまり、こちらも彼にだまされたふりをしてやる。
「だまされた、だまされた。ぼくは北でちゅ」

「わかっています」』


すきなエッセイを読んだ後、その人の物語や小説を読むとどくどくと血が通っているのを感じる。

たぶんこれから遠藤氏、北氏、佐藤氏の小説を読むときもきっとそんな感じがすると思う。

フランシス子へ

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東京の下町の一角。

思い思いにくつろぐ猫猫猫に観察されながらいつも半開きの玄関を開ける。 出迎えてくれるのは、これまたいつもの寝ぐせ頭のひと。


親鸞についての記述でぐっときたのは、「こんな風に解釈してもらえたらさぞ嬉しかろう、よかったね」と思ったからだ。

私が親鸞だったらきっとうれしい。


本当はどうだったかというのはわからないけれど、ただこの吉本隆明という人のやさしいまなざしに涙がにじんだ。


そして、映画みたいなフェードアウト。 光の粒か、煙みたいにとけていくような。


「戦後思想界の巨人」なんてここにはいない。
寝ぐせ頭のきれいなおじいさんがいるだけ