背中
澄んでいい香りがする、と思った。
知里幸惠さんは19歳で夭逝されたそうなので、この序のことばを書いたのはもしかしたら17、8の頃かもしれない。
女の子から女性になりゆく頃。
凛と立つ彼女のむこうに、たくさんの人がみえる。
両親、祖父母、曾祖父母、そのまた先の…。
彼女の背からのぞく人々は独特の化粧をしている。
着ている服の文様もあまり見かけないものだ。
ただ暮らしているのだ、とその人々は言う。
こわがらないでほしい、ただ暮らしたいだけなのだ。
自分に続く誇らしいものが不気味なものとされ徐々に薄れゆくさまを、彼女はどんな気持ちで見ていたのだろう。
彼女はそれまで口伝だったうたをローマ字に書き綴り、自ら日本語の口語訳をつけて刊行した。
その序の結びが、冒頭の写真。
ふくろうの神はわざと矢で撃ち落とされ、不運な者に恵みをあたえる。
兎や狐の神は人間にいたずらをしかけ、それがばれて「これからの兎たちよ、決していたずらをしなさるな、と兎の首領が子供等を教えて死にました」。
単純に面白いと思えるのは、私がその土地に生まれた人間ではないからなのか?本当はもっと難しいのかもしれない。そう思うとこわい。
自分とはちがうものをただ「そういうのもあるんだ」と思える世界だったらいいな。