生きるとか死ぬとか
ジェーン・スーさん原作の『生きるとか死ぬとか父親とか』を、やっと見た。
録画をしていて、本当はリアルタイムで見られる日もあったけれど、覚悟が決まらなくて見られなかった。
やっぱり私にはその単語自体かなりハードルが高くて、正直なところ毛虫に触れるような懼れの感情が浮かぶ。
どうして最近になってこんなつらいのか、思い出しすぎて眠れなくなるのか。
なぜ今?
不思議で仕方なかった。
そろそろどこかにカウンセリングを受けに行った方がよさそうだと思った頃、あるトラウマに関する本に答えがあった。
ーなぜ今思い出してつらくなるのでしょう?
ーそれは、あなたが育児をする中で、追体験をしているからです。
すべて合点がいった。
教えてくれてありがとう、あの本を書いた人。
最初から最後まで、私の話を知っているのは弁護士と夫だけだ。
夫に話せるだけでもよかった。
何かある度に、いちいち弁護士さんに愚痴るわけにもいかない。
友人にも話したことがない。
一度に話すには長すぎるし、話した後の関係性を元のまま保つ自信がなかった。
少しでも憐れまれたり励まされたり、そんな気配が見えたら私はもう会えない。
ずっと自分の話の匙加減がわからないままここまできた。
でも、Podcastをいろいろ聴いていく中でジェーン・スーさんと堀井美香さんの『over the sun』を聴くようになって、ここなら送ってみたいと思った。
匿名で、現住所も、私の姿形も見えない。
変に前向きなコメントや、寄り添ってあげようと無理してないのがよかった。
「ここで(声に出して)読まなくても、私たちは全部目を通しています」、「お焚き上げ」とよくお二人がふざけて仰ってるので私の分もお焚き上げしてもらおう。
呪いの言葉も、臭くまとわりつくものも全部燃やす。
事情があって戸籍の閲覧制限をかけられなかったのでもう私の今の自宅は相手にばれてしまっているし、親族の場所には頻繁にいろいろ送り付けられてくる。
たぶんこれからも続く。
だけど、それはそれとしてこれからを考えて生きよう。
ええ、そうですねなかなかない経験ですよね。
自分にそう言って生きるぞ、しぶとく。