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サンクチュアリ

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そこは私のサンクチュアリ
数ヶ月ぶりの通院の帰り、なんとなく寄ってみたくなった。

割といろんな街で見かけるチェーン店だ。
特別メニューがあるわけでも(たぶん)ない。
ただ、天井が高くて、窓が大きくて明るい。
数年前、私はほぼ毎週のように通院し、帰りにそこで休憩をしていた。


病名が判明したころ。

普通の速度で歩けなくなって、交差点を渡る時に母に手をひいてもらいながら渡った。
渡りながら、「私こんな弱かったっけ」と思った。
何かひとつするたびに、ひとつ点をおくように休んでいた。

投薬さえしていれば命には何ら問題はない。
薬は「めがね」と同じ。
自分のシステムに足りなくなってしまったところを補完するだけで悪さはしない。


そういうことは全部、ことばとしてはちゃんと入ってきていた。


ただ、生まれて初めて病名がつき、これから一生薬を飲まないといけないのかと思った時のショックは大きかった。

今まで、別の原因を疑っていろいろやってきたこと、それが(全くの無駄とは言わないけれど)方向違いだったことにもがっくりきてしまった。

ただ、休みたかった。


初めて螺旋階段をのぼって二階にあがったとき、ほっとした。
ここなら休めそう。

明るくて、隣との距離も適度にあって、一人用のソファが窓際にずらっと並んでいる。
ソファに座ってひと息ついて、心底「よかった」と思った。


そこにいて、ひっそり泣くこともあったけれど、ある時からセラピー、マインドフルネスのひとつとして手紙を書く方法を知り、それに没頭するようになった。

便箋はいらない。持ち歩いているメモ帳に書けばいい。
宛先は自分。

片面には今の自分として書く。
もう片面には友人として書く。
困っている時、悲しんでいる時に心から親身になってくれる架空の友人。その人になりきって書く。


「こんにちは。今日も病院です。今日は数値が〇〇と言われました。
分かってはいるけれど、どうして自分の体なのに自分の思う通りにならないのでしょう」

「こんにちはよるさん。今日も病院だったのですね、おつかれさまです。
全部自分でどうにかできたらいいのにね。でも、どうにもならないことがあるから今は先生のサポートが必要なのですよね」…

例だけれど、こんな感じ。

あとは、今の自分の考え方がどの思考パターンなのかを区別する方法も。
これのおかげで、むやみに不安になっていることや悲観的になりすぎていることに気付いたりした。


コーヒーとサンドイッチ、メモ帳、iPodとイヤホン。
ここで傷をなめて治るのを待った。


あの時の私がまだここにいる。
涙目でメモ帳にこしこし書き込んでいる。
コーヒーがだんだん冷めていく。


治りはしないけれど、歩けるようになったよ。
薬も全然問題ないよ。量へらして安定しているよ。
新しい職場で気の合う友人ができたよ。
ちいさな家族もできたよ。
メモ帳は相変わらず無印のが使いやすいね。

久しぶりにきたけれど、やっぱり落ち着く。
もうちょっとゆっくりしたら家に帰ろう。