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電車

『…友人たちが電車に乗って先に進んでいくのに、自分だけプラットフォームに取り残されてしまう感じだ。
先に進みたいのに、進めるかどうかはわからない。その先には、自分は入れてもらえないクラブのようなものがあるのではないかとさえ思えてくる』


クラブはともかく。
ある本にあったこの記述がまさにその頃の心情だった。
数年前の話。


これまでは選択肢に迷う時、「(慎重論が出てくるだろうけれど、うまくいくかわからないけれど)こっちに進んでみよう」と自分で選択することが多かった。

でもこの数ヶ月、「たしかにこっちに進んだ方がいいのだろう」と自分でも思い、お世話になっている方々にも勧められているのに、心がついていかなかった。


一歩試しに踏み込んでみたら、足元からあれよあれよという間にレールが組み込まれていく。


がしゃんがしゃん。あなたはこっちですよ。


こんなに展開が早いなんて、現代はなんて整っているんだと思う反面、もう一人の私は息を切らして待って待って!と追いかけている。


心が息切らしている時、体力があればなんとかできたりするのだが、今はまず体力がない。


クリスマス頃にコロナウイルスに罹患して寛解したのだが、その後がひどい。
風邪、子の喘息、私の気管支炎、さらに数日前から感染性胃腸炎

コロナも胃腸炎も家族なかよくまとめて。


どうなってるんだ2023。


腸炎で汚れたシーツや衣類を何度も消毒して洗ううち泣きそうになり、冒頭の文章を思い出した。

テーマは違えど、あーあ。また同じところに戻ってきた。

でも、以前と違うところ。
以前の問題では、選択肢を自分で吟味して決定していくしかなかった。
レールは自分で敷くもの。敷いた先に何があるかわかりませんけどねの世界。

でも今の問題は、良い方向がわかっている。だからきっと前よりマシ。


今月はもう体力気力がおしまいなので、来月以降。
とりあえず進め、きっと悪くはないでしょう。

生きるとか死ぬとか

ジェーン・スーさん原作の『生きるとか死ぬとか父親とか』を、やっと見た。

録画をしていて、本当はリアルタイムで見られる日もあったけれど、覚悟が決まらなくて見られなかった。

やっぱり私にはその単語自体かなりハードルが高くて、正直なところ毛虫に触れるような懼れの感情が浮かぶ。


どうして最近になってこんなつらいのか、思い出しすぎて眠れなくなるのか。
なぜ今?
不思議で仕方なかった。

そろそろどこかにカウンセリングを受けに行った方がよさそうだと思った頃、あるトラウマに関する本に答えがあった。

ーなぜ今思い出してつらくなるのでしょう?
ーそれは、あなたが育児をする中で、追体験をしているからです。

すべて合点がいった。
教えてくれてありがとう、あの本を書いた人。


最初から最後まで、私の話を知っているのは弁護士と夫だけだ。

夫に話せるだけでもよかった。
何かある度に、いちいち弁護士さんに愚痴るわけにもいかない。


友人にも話したことがない。
一度に話すには長すぎるし、話した後の関係性を元のまま保つ自信がなかった。
少しでも憐れまれたり励まされたり、そんな気配が見えたら私はもう会えない。

ずっと自分の話の匙加減がわからないままここまできた。


でも、Podcastをいろいろ聴いていく中でジェーン・スーさんと堀井美香さんの『over the sun』を聴くようになって、ここなら送ってみたいと思った。

匿名で、現住所も、私の姿形も見えない。

変に前向きなコメントや、寄り添ってあげようと無理してないのがよかった。


「ここで(声に出して)読まなくても、私たちは全部目を通しています」、「お焚き上げ」とよくお二人がふざけて仰ってるので私の分もお焚き上げしてもらおう。

呪いの言葉も、臭くまとわりつくものも全部燃やす。


事情があって戸籍の閲覧制限をかけられなかったのでもう私の今の自宅は相手にばれてしまっているし、親族の場所には頻繁にいろいろ送り付けられてくる。
たぶんこれからも続く。

だけど、それはそれとしてこれからを考えて生きよう。


ええ、そうですねなかなかない経験ですよね。
自分にそう言って生きるぞ、しぶとく。

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「焼きたてで湯気でてるので、袋の口あいてます。気をつけてくださいね」。

電車を待っている。
膝のうえには熱々の鯛焼き


いつもの通院の日だった。
私の主治医のいるこの病院でも、コロナウイルスの院内感染があった。
大きい病院は、もうあとどこが残っている?というくらいじゃないかな。体感的にはそんな感じ。

知った上で行くのはさらにこわい。電車にも乗る。
でも、処方してもらわないと薬がなくなる。


数日前、病院に電話して尋ねたところ、「処方するだけならきっと早くおわります」とのことで、今回は採血なし。

ところが、実際行ってみたら窓口で電話対応していたスタッフさんたちが「処方箋を郵送しますか?」と聞いている。
で、できるの???

悲しい、どうしようと思いながら先生(やはり交代制なのか、主治医でない別の先生が担当してくれた)に尋ねたら、ちょっとかなしそうな目をして「もうほんとに直前、さっき決まったような感じなんです。そう、できるようになりました」と教えてくれた。

確認の電話をかけたのはほんの数日前。
今は刻々と状況が変わっていっているから、こういうこともある。
診療を続けてくれているだけでありがたい。

そこを職場として働いている医師、看護師、採血や案内のスタッフの方々はいたって普通だった。(パニックにはならないだろうけれど…)
時々軽口も言ったりして、ちょっとホッとした。

いつもと違ったのは主に以下。
・入口と出口が分けられていたこと
・入口ですぐに手指のアルコール消毒、その後額で体温計測、体調についての問診があったこと
・採血スタッフは目にガードをつけていたこと


帰る時、もっと大変な部分で働いている方々もここにいるんだ、と思った。
言葉ではなんとでも言える。
それはわかっているけれど、言わずにはいられない。

ありがとうございます。本当に、体にお気をつけて。


帰り道、新しく開店したらしい鯛焼き屋さんをみかけた。
今はもう少なくなった人通り、その少ない人たちに声をかけている。あ、おばあさんが入った。


夫はクリーム。私はつぶあん。目の前でじゅう、と焼いてくれた鯛二匹。

帰ったらすぐ服ぬいで、そのままシャワーを浴びる予定。
それからいつも通り子をだっこしよう。

皆さんもおつかれさまです。お気をつけて。

春の宣言

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「…やがて突然に春が来た。ある朝、窓を開けると、空の色が違った。あの鉛色の雲が消滅して、青いまぶしい天蓋がパリを覆っている。そのくらいドラマティックだった。派手で、にぎやかで、街は鎧戸を開け放った屋根裏部屋のように明るい。誰もが外に出てくる。花が咲き、木が若葉をつける。それを透かして日の光が地面に緑色の影を揺する」

「冬があるから春が際立つ」

「そのとおり。そして、その日から公園の噴水に水が通じて、水しぶきに小さな虹がかかる。それがまるで公式な春の宣言のように思われる」

池澤夏樹の『きみのためのバラ』所収の『人生の広場』の一節。


ここのところよく思い出す。今はまだ鉛色の雲と鎧戸の世界。

植物だけが少しずつ戸を開けようとしている。
散歩していると、梅が咲いているのをよく見かけるし、沈丁花の香りもする。
もうすぐ開くはず。

きみは赤ちゃん

f:id:yohaq:20200206223113j:plainリビングでひと息ついてお茶を飲んでいたら、子が昼寝から目覚めたらしく、私のところまで泣いて歩いてきた。
「え?!ベッドからどうやって起きたの?!」と思った。

いろいろ気にはなったけれど、ひとまずリビングで洗濯物をハンガーに通しおえて「さあ外に干そう」と思ったら、子が洗濯物をじーっと見て外のベランダに干してくれた。

「立って?!」とびっくりしてあわてて動画撮りはじめたら、赤ちゃんじゃなくて背の高いお兄さんの背中だった。
水色?海の柄みたいなTシャツを着ていた。

ベランダの外ではお祭りなのか、ラッパを吹く人たちがいてとてもにぎやかだった。


今日、子と一緒に朝寝しているときにみた夢。

起きたら、現実の子は抱っこでないと移動もできなくて、やわらかくてまるくて、赤ちゃんだった。

サンクチュアリ

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そこは私のサンクチュアリ
数ヶ月ぶりの通院の帰り、なんとなく寄ってみたくなった。

割といろんな街で見かけるチェーン店だ。
特別メニューがあるわけでも(たぶん)ない。
ただ、天井が高くて、窓が大きくて明るい。
数年前、私はほぼ毎週のように通院し、帰りにそこで休憩をしていた。


病名が判明したころ。

普通の速度で歩けなくなって、交差点を渡る時に母に手をひいてもらいながら渡った。
渡りながら、「私こんな弱かったっけ」と思った。
何かひとつするたびに、ひとつ点をおくように休んでいた。

投薬さえしていれば命には何ら問題はない。
薬は「めがね」と同じ。
自分のシステムに足りなくなってしまったところを補完するだけで悪さはしない。


そういうことは全部、ことばとしてはちゃんと入ってきていた。


ただ、生まれて初めて病名がつき、これから一生薬を飲まないといけないのかと思った時のショックは大きかった。

今まで、別の原因を疑っていろいろやってきたこと、それが(全くの無駄とは言わないけれど)方向違いだったことにもがっくりきてしまった。

ただ、休みたかった。


初めて螺旋階段をのぼって二階にあがったとき、ほっとした。
ここなら休めそう。

明るくて、隣との距離も適度にあって、一人用のソファが窓際にずらっと並んでいる。
ソファに座ってひと息ついて、心底「よかった」と思った。


そこにいて、ひっそり泣くこともあったけれど、ある時からセラピー、マインドフルネスのひとつとして手紙を書く方法を知り、それに没頭するようになった。

便箋はいらない。持ち歩いているメモ帳に書けばいい。
宛先は自分。

片面には今の自分として書く。
もう片面には友人として書く。
困っている時、悲しんでいる時に心から親身になってくれる架空の友人。その人になりきって書く。


「こんにちは。今日も病院です。今日は数値が〇〇と言われました。
分かってはいるけれど、どうして自分の体なのに自分の思う通りにならないのでしょう」

「こんにちはよるさん。今日も病院だったのですね、おつかれさまです。
全部自分でどうにかできたらいいのにね。でも、どうにもならないことがあるから今は先生のサポートが必要なのですよね」…

例だけれど、こんな感じ。

あとは、今の自分の考え方がどの思考パターンなのかを区別する方法も。
これのおかげで、むやみに不安になっていることや悲観的になりすぎていることに気付いたりした。


コーヒーとサンドイッチ、メモ帳、iPodとイヤホン。
ここで傷をなめて治るのを待った。


あの時の私がまだここにいる。
涙目でメモ帳にこしこし書き込んでいる。
コーヒーがだんだん冷めていく。


治りはしないけれど、歩けるようになったよ。
薬も全然問題ないよ。量へらして安定しているよ。
新しい職場で気の合う友人ができたよ。
ちいさな家族もできたよ。
メモ帳は相変わらず無印のが使いやすいね。

久しぶりにきたけれど、やっぱり落ち着く。
もうちょっとゆっくりしたら家に帰ろう。

散歩

f:id:yohaq:20200106204641j:plainの連休最終日だった数日前、公園へ行った。

家から車で10分弱。


この公園は広くて水辺があってとても気持ちいいので私たちのお気に入りだ。

その上、近くにおいしいパンを焼くお店がある。


私たちはいつもそのこじんまりした小さいパン屋で食べたいものを見繕ってから公園へ向かう。

ところが、行った日はまだ正月休みだった。


スーパーの惣菜コーナーで、「おにぎりくらいなら作ってくればよかったなー…」と思いながら梅とたらこのおにぎりを買った。

夫はツナマヨ

子は早く自由の身になりたそうにじたばたしていた。


3人でその公園に行くのは2回目だった。

前回行った時は夏の終わり。

この記事の写真もその時のもの。

公園に着いた頃に子が寝たので、ベビーカーを押しながらすこし歩き、日陰で夫とパンを食べたのだった。

子の寝た隙に、私は石のベンチに仰向けになった。

ベンチは日差しですこしあたたかくなっていて、とても気持ちがよかった。

こうふく、と思った。


今は冬だ。

風がとても強い。家出る時より強まっている気がする。


外だと今日はやっぱり寒いかな?と話しながら、風よけのために園内のカフェテラスの入口に避難したら、見てしまった。


ラーメン


今まで何度もそのカフェテラスの前通って何度もその文字を見たし、味もだいたい想像つく。

それが今日は無性に食べたい。

しょうゆラーメン。

わかめとメンマと海苔。ちょっとのびた麺。


スキー場、学食、夜中のSA。

きっとみなさんも嗅いだことのある香り、食べたことのある味。


それで、店員さんに頼みました。しょうゆラーメン。

おいしいーしあわせーうれしいーおいしいー…

食べたら脳内でループした。


ここまで長々書いて何が言いたいかというと、

・今後も行き当たりばったり万歳

そして

・選べる自由をこれからも確保していきたい

ということ。

世界情勢が変化して、自分自身も変化して、でもその選ぶ楽しみはこれからも守りたい。


いつの季節も私たちは散歩する。